黒い服でワルツを

砂糖漬けの果物がこぼれて、

真夜中のサイレン

寝つきは非常によくてのびたくんかっていう感じなんだけど、ときどき今日みたいになんとなく目が冴えている日もある。
夜に考え事はよくないとつねづね思う。
暗い底なしにひっぱられてしまうから。
いつも朝日とともに考えたいと思う。
でも今日くらいは一番夜の底に向かってひっぱられるのもいいかもしれないなって思う。

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幼いころは不思議なものでときどき眠れない夜があった。(そして同じくらい不思議なのは日曜日の朝の早起きっぷりといったら。おかげでわたしは朝の5:30からやっていたアンパンマンを見て時間をつぶしていた)
眠れない夜の子どもはさみしいからおとなを巻き込みたがる。
仕事で疲れていた母親は目をつぶっていれば寝られるなどと構う余裕もなかったけれど、祖父母は寝られないわたしの背中をよく撫でてくれた。

人に触れられるというのは極めて原始的な体験で、それがすきなひとであればあるほど安心する。
祖父母はわたしが寝付くまで背中を撫でてくれた。
それから何年か経って一人で寝るようになり、それからまた何年か経っていっしょに寝る人がいて、その人に触れ、あたたかさを感じながら布団でまどろむのがすきだった。
大人になって他人といっしょに寝てはじめてわたし(たちは)これが欲しかったんだなって理解した。

こいびとというのは三大欲求を特に精神的な面で満たせる人のことであるけれども、睡眠をともにするというのは殊更わたしにとって大きいもののように感じる。
動物として一番無防備な瞬間を共有できるというのは、極めて貴重な存在ではないのか。

それから何年か経ち二人と一匹で寝床をともにし、いまは一人と一匹で夜を越えている。
きっとこの一匹がいなかったらわたしはわたしの形を保てないなと思った夜は一度や二度ではない。

今夜の自分がなんでこんな気持ちになっているのか、原因を見つけることは簡単だ。
だからと言って、それがわかったからどうにかできるものでもない。
そしてわたしたちはきっとこういう夜を、目を閉じ耳を閉じて耐えなければならないことも知っている。
だけれども、それが苦しいことであり、簡単に甘えられたらどんなに楽なのか。
わたしはあの日の祖父の手や祖母の温度を、あのときのこいびとの寝息を、一匹の鼓動を、そしてあの人のやわらかな匂いを思い出す。
遠くでサイレンが鳴っている。
わたし以外にも起きてる人がいて、世界はちゃんと成立していることに安堵しながら、一番欲しくて手に入れられないものを思う。
そして、遠くへ行ってしまう人のことを思う。
夜の底に引きずられる前に、わたしのすきな人たちが幸いでありますようにと真夜中の摂理に祈って、静かに目を閉じる。


きみを噛みたい何者にもならないで静寂を裂く遠景のサイレン